すき焼き・しゃぶしゃぶの銀座らん月[公式オンラインショップ]ONLINE SHOP

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銀座らん月の歴史

銀座らん月の歴史

創業は第二次世界大戦後の1947年

当時銀座通りに路面電車が走り、銀座が川に囲まれていた頃にさかのぼります。
日本は戦後の爪痕から立ち直るべく、復興を合言葉に怒涛の日々でした。

十分な食事を提供し、
明日への活力に繋げて欲しい

その頃、銀座中央通りを挟んだ向かいにある松屋銀座本店は、GHQ(連合国軍総司令部)のPX(Post Exchange)として接収されていました。そこは米軍基地専用の売店として使用され、アメリカの軍人や家族以外立ち入ることができない場所でした。

多く銀座に訪れるアメリカ人にヒントを得た創業者は、銀座3丁目に2階建ての社屋を建て、その1階で洋食店をスタートさせました。また、復興をすべく毎日を頑張る日本人に対しても「十分な食事を提供し、明日への活力に繋げて欲しい」と、創業者は銀座らん月の前身を立ち上げたのです。

多くのアメリカ人が銀座を訪れました

その後、銀座は少しずつ賑わいを取り戻していきました。松屋銀座の接収が1952年で終わると、「銀座らん月」は日本料理の店に切り替えました。その原点は創業者の郷里、兵庫県に紐付けされます。
松阪肉の仔牛として名高い「但馬牛」、当時から「松葉カニ」で有名な城崎。創業者夫妻は「幼少期から食べ慣れた郷里の味を銀座のお客様にも届けたい」という思いから、和牛とズワイガニの提供を始めたのです。
オープンの際は、チャプリンの服装をして歩く人間広告「サンドイッチマン」に本物の牛を引かせ、広告として銀座中央通りを練り歩き、新聞雑誌でも大きく取り上げられ話題となりました。
店では品評会で優勝した牛を振る舞い、京都から芸妓数人を出張させてお客様のもてなしをするなど、店の人気は上々。半年前から予約でいっぱいになるほどでした。

当時の2階建て社屋は、銀座中央通りから裏側の道路まで一画ある細長い造りでした。日本料理店に切り替えたとき、その細長い鉄板葺(ぶき)の平屋根に端から端まで大きなうなぎの絵を描かせました。道を歩く人は見えない、けれども向かいの8階建ての松屋や近所の高いビルからは良く見えるのです。うなぎの寝床で、うなぎが食べられますよ、というアピールを松屋などの来店客に見せていたのです。

※現在はうなぎ料理の提供はしておりません。

  • 少しずつ賑わいを取り戻す戦後の銀座
  • うなぎの絵を書かせた当時の銀座らん月ビル

その後、高度成長期に入ると、1964年の東京オリンピックに合わせて都市のインフラ整備がすすみ、銀座を取り囲んでいた掘割の埋め立てが行われました。それと同時期に「銀座らん月」が入る現在のビルが建設されました。

そして創業76年目となる現在

旧きものから新しきもの生まれ、新しきものの中に旧きものの美しさあり。

先代から受け継いできた伝統を守りながら、今なお銀座の地でさらなる革新と進化を目指しています。
親子3代でご利用頂いているお客様も多く、世代を超えたたくさんのお客様にお越しいただいております。ご自身の子や孫の世代にも安心安全にご利用いただける店として、お客様の記憶に刻まれる食の提供に努めております。

銀座の移り変わりと繁栄を見守りながら昭和の時代から令和の今日まで、「銀座らん月」は、創業当時と変わらず銀座3丁目でお客様をあたたかくお迎えしております。